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天霧山・天霧城跡

尼斬り伝説の舞台・天霧城があった山

天霧山・天霧城跡

市の西北に位置する天霧山(あまぎりやま)は標高381m。善通寺市、多度津町、三豊市にまたがる伝説の山です。奇岩が多く、断崖絶壁に囲まれた険しい地形を生かして築造された天霧城が南北朝から戦国時代にかけてありました。
 天霧城主の香川氏は、貞治元(1362)年の白峯合戦で南朝方の細川清氏を討ち取って勢力を伸ばしました。三野・多度・豊田の3郡を領地とし、平時の居館を多度津本台山に構え、戦さのために天霧城を築きました。その後、細川氏の守護代として讃岐13郡のうち6郡を治めましたが、天正7(1579)年に土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に降伏し配下となります。
 さらに天正13(1585)年の豊臣秀吉の四国征伐で敗退し、220年あまり住んだ城を捨てることとなりました。
 一説には香川氏は長宗我部氏との戦いで、天霧城に立てこもりましたが、城を囲んで水がなくなるのを待った長宗我部軍に水があるように見せかけるため白米を流しました。最初は敵の目をごまかせましたが、通りかかった尼が「あれは水ではなく白米だ」と告げたため、たちまち攻め込まれて落城しました。尼はその後、香川軍の落武者に斬り殺され、そのために「尼斬城」ともいわれたという伝説が語り継がれています。

天霧山の登山コース

【①善通寺市側(牛額寺)からの登山道】登山口から城跡まで約1時間30分

牛額寺から高速道路手前の側道に出て西に進み、小高いみかん畑まで行くと天霧城跡の案内板がある。ここから舗装道路に沿って山に登って行くと、道の右側に案内標柱がある。
この先は下の地図を参考。

【②三豊市側(弥谷寺)からの登山道】登山口から城跡まで約1時間30分

弥谷寺からは境内の護摩堂前の表示に従って旧四国遍路道を東に進むと天霧城跡に出る。