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弘法大師空海の故郷・善通寺市で偉人ゆかりのパワースポットを巡る旅 弘法大師空海の故郷・善通寺市で偉人ゆかりのパワースポットを巡る旅

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善通寺市が誇る偉人・弘法大師空海。一般的には真言宗の開祖として知られますが、その他にも書の才や言語能力、土木建築知識、ビジネス感覚など、多岐にわたる分野で類まれなる才能を発揮した“天才”として今も多くの人々からの尊敬を集める偉人です。

善通寺市はそんな偉人・空海の御誕生地であり、今でもゆかりの伝説が数多く残ります。偉人の足跡が残る場所を巡ると、どこかパワーが満ちてくるように感じられます。偉人の伝説が今なお息づく善通寺市で、心と体をととのえてみませんか?

四国八十八ヶ所霊場
5つの寺院

第七十二番札所

緑豊かで四季折々に表情を変える『曼荼羅寺』は、四国霊場の中でも最古に属する飛鳥時代に創建されたと言われています。かつては弘法大師空海の出自である讃岐の領主・佐伯家の氏寺として世坂寺と呼ばれていましたが、唐から帰った弘法大師が、母君・玉依御前の菩提寺として伽藍を建立し、唐から持ち帰った曼荼羅を安置したことから『曼荼羅寺』と名を改めました。本尊は大日如来で、1,500坪を超える敷地には、本堂、大師堂、護摩堂、観音堂などが建ち並びます。霊験あらたかな木々に囲まれた本堂の屋根には重厚な飾り瓦があしらわれ、荘厳な雰囲気を醸し出します。その他にも境内では、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した歌人・西行法師が昼寝をしたという言い伝えが残る「西行の昼寝石」や、笠をかけたという「笠掛桜」を見ることができます。

『曼荼羅寺』に伝わる
弘法大師空海ゆかりのお話

『曼荼羅寺』には、かつてはお大師様が手植えされたと言われる「不老松」と呼ばれる樹齢1,200年を超える笠松がございました。残念ながら松くい虫の被害により平成14年に伐採を余儀なくされましたが、現在はその不老松の幹にお大師様の御影を刻み、「笠松大師」として安置しております。不老松が植わっていた跡地には囲いと看板を設置しており、かつての存在感を実感いただけるかと思います。

住職・清文さん

『曼荼羅寺』の詳細はこちらから

第七十三番札所

我拝師山の麓に位置し、高台から市街地や瀬戸内海を望む『出釋迦寺』。
境内の後ろには捨身ヶ嶽と呼ばれる御岳がそびえ、山中にある奥の院禅定には“弘法大師空海が幼少期に仏門への誓いを込めて断崖絶壁から身を投げたところ、釈迦如来が天女を連れて現れ、大願が成就した”との伝説が残っています。その伝説にあやかり、祈願成就の願いを込めて多くの参拝客が訪れます。喧騒から離れた禅定からは瀬戸内海や山々などを遥か遠くまで望み、息をのむような美しい景色が広がります。また、眼下の美景を眺めながらつくことができる「天空の鐘」は、重厚な響きがジーンと心に沁み入ります。
6月頃には境内や禅定に続く参道など、あちこちに紫陽花が咲き誇り、年3回ほど行っている花手水の時期には色とりどりの花々で彩られた手水鉢の周りをしゃぼん玉が飛び交う風景など、四季折々の美しい風景を楽しむことができるのも魅力です。

『出釋迦寺』に伝わる
弘法大師空海ゆかりのお話

『出釋迦寺』の奥の院禅定には、お大師様が真魚(まお)と呼ばれていた7歳の頃、「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、お姿を現してください。もし叶わないのならば、この身を諸仏に捧げます。」と断崖絶壁から身を投げられたという伝説が残ります。真魚様が身を投げると紫雲が湧き、釈迦如来と天女が現れて“大願成就”のしるしを示されたとのことです。また、禅定までの道中には「柳の水」が湧いております。そちらは“お大師様が杖をたてると水が湧き出た”との言い伝えが残り、水を飲むと病を癒すと言われています。

住職・岡田さん

『出釋迦寺』の詳細はこちらから

第七十四番札所

弘法大師空海が幼少期によく遊んでいたといわれる場所に建つ『甲山寺』は、弘法大師が満濃池を修築したことで朝廷から賜った報償金の一部を充てて建てられたと言われています。ご本尊の薬師如来の脇侍である月光菩薩が持つ月の中にウサギが描かれていることにちなみ、境内のあちこちにウサギの像や飾り瓦が配され、参拝客からは“うさぎ寺”としても親しまれています。ウサギとお寺の関係は、お釈迦様の前世の物語だと言われる「ジャータカ神話」の中の「月のうさぎの伝説」に由来するのではないかとの説もあります。
カラフルなリボン絵馬や愛らしいお守りなど、ほっこりとされてくれる親しみやすい授与品も人気で、参拝後には優しい心を思い出させてくれる穏やかな空気が包む寺院です。
見事な襖書が並ぶお部屋での瞑想体験もできるので、心身ともにリフレッシュしに訪れてみてはいかがでしょうか。

『甲山寺』に伝わる
弘法大師空海ゆかりのお話

『甲山寺』は、弘法大師空海が満濃池の堤を修繕したことで朝廷から与えられた報奨金を使用して建てられたと言われています。寺の伝えでは、お大師様が曼荼羅寺と善通寺の間に寺を建てたいと場所を探して歩いていると、甲山の麓の岩穴から老翁が現れ、この地に寺を建てるように告げたそうです。大変喜んだお大師様は、自ら毘沙門天の石像を刻み、岩穴に祀ったと言われています。この毘沙門天尊は、今でも多くの方を見守っておられます。

住職・教順さん

『甲山寺』の詳細はこちらから

第七十五番札所

弘法大師空海の御誕生所である『善通寺』は、正式名称は『屏風浦五岳山誕生院善通寺』といい、真言宗善通寺派の総本山です。
寺の名前は弘法大師の父の名である「善通(よしみち)」にちなみ名づけられたと伝えられ、高野山の金剛峯寺・京都の教王護国寺と並び弘法大師三大霊跡に数えられます。
『善通寺』には、長安(現在の中国・西安市)の『青龍寺』を手本に建立したと言われる「伽藍」と称される東院と、弘法大師が出自した佐伯家の邸宅跡に建つ「誕生院」と称される西院があり、総面積45,000㎡の広大な境内を有します。東院には善通寺市のランドマークとして親しまれる五重塔がそびえ、西院の御影堂では真っ暗な中を進み自己を見つめなおす「戒壇巡り」などを体験できます。弘法大師の御作や遺品も収蔵する「宝物館」では、国宝や文化財に指定されている貴重な品を見ることができます。
境内の様々な場所で弘法大師の足跡と歴史を感じられる荘厳な寺院です。

『善通寺』に伝わる
弘法大師空海ゆかりのお話

『善通寺』西院にある「御影堂」の奥殿は、お大師様の母君のお部屋があったと考えられており、お大師様はこちらでお生まれになったと伝わります。境内には御誕生の際に用いられた「産湯井」、東院には幼少期に遊ばれていたと考えられている推定樹齢1,300年ほどの大楠など、いたるところにお大師様ゆかりの伝説が残ります。また、西院にある「御影池」は、お大師様が唐への留学に渡る際、母君に自画像を描いて贈ろうとなさっていたところ、香色山から現れた仏様が池の水面に光を射してくださり、御影を映して自画像を描き母君に贈ることができたという言い伝えがございます。

広報・中嶋さん

『善通寺』の詳細はこちらから

第七十六番札所

『金倉寺』は、四国八十八ヶ所霊場の中では珍しい、天台宗の寺院です。弘法大師空海の甥で、比叡山延暦寺の第5代座主となった智証大師円珍の御誕生処でもあります。智証大師円珍は、弘法大師同様に唐へ渡り密教を学んだ後に活躍し日本における密教の礎を築いた、善通寺市が誇る偉人です。
『金倉寺』には地元の方々から“おかるてんさん”の愛称で親しまれる訶利帝母(鬼子母神)が祀られています。境内で遊ばれていた智証大師の前に突如女神が現れ、「私はあなたの仏道修行を守護しましょう」とおっしゃったという伝説があり、子授けや安産の御利益があると多くの方に信仰されています。
また、明治時代には大日本帝国陸軍第11師団長として赴任した乃木希典将軍が『金倉寺』を宿舎として滞在されたことでも知られており、お寺には乃木将軍が使用していた食器や書物、軍帽が大切に保存されています。

『金倉寺』に伝わる弘法大師空海ゆかりのお話

『金倉寺』は、弘法大師様の甥にあたる智証大師様の御誕生処です。『金倉寺』に訪れた弘法大師様が当時3歳であった智証大師様を見て、「文殊菩薩の応化なり」と驚き、「智慧童児」と名付けたとの伝説が残ります。祖師堂には智証大師様、修験道の始祖・神変大菩薩様とともに弘法大師様の像も安置しており、両名のお大師様と参拝の方々の間を結ぶように天井から下がっている御手綱で、お大師様とのご縁を繋いでいただけます。

副住職・哲済さん

『金倉寺』の詳細はこちらから

空海伝説が残る
その他の場所

弘法大師空海が真魚と呼ばれていた幼少期、この地で泥土の仏を作り拝んでいたところ、朝廷の使いが通りかかりました。村の役人が真魚を退かそうとしたところ、朝廷の使いはそれを制して馬から降り、真魚に向かって合掌拝礼を行いました。役人が理由をたずねると、朝廷の使いは「この子は神童に違いない。四天王に守護されている。」と語ったという伝説が残っています。

弘法大師空海が天竺の国に訪れた際に、天竺でしか手に入らず、どうしても手に入れたい薬草がありました。3粒の薬草の種を持ち出そうとしたところ、1匹の番犬が弘法大師に向かってひどく吠えましたが、弘法大師は盗んでいないと言い通しました。そこで、番犬は番人に叩かれ死んでしまいます。かわいそうに思った弘法大師は、真言の秘法で番犬を生き返らせました。その後、その犬とともに唐から帰国し、犬の死後にここに祀ったという言い伝えが残っています。この時に持ち帰った薬草の種が小麦の種であったのではないかとも言われています。

『七仏薬師』は、弘法大師空海がお堂を建て、自ら薬師7体の石像を刻んで祀ったと言われています。かつては医王山七佛寺と呼ばれ、五穀豊穣と疫病からの救済を祈願し多くの方が参拝していたと言われています。その後、中世の戦乱で寺は焼け落ちましたが、時を経て吉原大池の工事着工中に土の中から石像が出現し、この場所に再度祀られたと言われています。

弘法大師空海知りたい
あなた

善通寺市立図書館

弘法大師空海について深く知りたいと思っている方にぜひ足を運んでいただきたいのが『善通寺市立図書館』です。
たくさんの空海関連書籍が揃う空海コーナーがあります。お子様でも気軽に楽しめる児童書から、一般の書店ではなかなか手に入らない貴重な書籍まで、多様な弘法大師空海関連書籍がズラリと並びます。

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