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月照・信海生誕地碑

勤皇運動に命を捧げた兄弟誕生の地

月照・信海生誕地碑

 月照は、文化10(1813)年に吉原村下所に生まれ、10歳で碑殿町にある牛額寺の蔵海(ぞうかい)に弟子入りし、20歳で京都清水寺成就院の住職となりました。当時財政難だった清水寺を救った後に弟の信海に寺をゆずって、尊王愛国の思想のもと、明治維新の先導者西郷隆盛などと親交を得て奔走しました。しかし、幕府側に追われて九州へ逃げ、隆盛とともに海に身を投げました。隆盛は助かりましたが月照は帰らぬ人となりました。弟の信海も高野山で修業を積み成就院住職となりましたが、月照などとともに活躍したことから幕府にとらえられ、39歳で獄死しました。明治24(1891)年、ともに維新の功労者として、月照は正四位、信海は従四位が贈られました。
 二人が生まれた現在の吉原町には生誕地の石碑があり、平成26(2014)年に県道拡張工事のために移築され、現在は修業をした牛額寺の方を向いて建っています。
 牛額寺はもともと山手にあり、その場所には薬師堂が残されています。[善通寺市碑殿町684-1]ここには、霊牛が出入りしたという伝説の牛穴があり、隣の広場には、月照と信海の像が建てられています。もとは銅像でしたが、第2次世界大戦の際に供出したため台座だけになり、昭和53(1978)年に速水史朗氏作の石像に生まれ変わりました。また、像の近くには東郷平八郎が月照・信海の功績を称えた石碑も残っています。


「大君の為には何か惜しからむ 薩摩の追門に身は沈むとも」月照

「西の海東の空と変れども 心は同じ君が代の為」信海

牛穴